銀杏の実が鈴なりです。
見上げてもびっしりだけど
木のまわりにもいっぱい落ちています。
公園の入り口にも落ちていて
朝、イヌを連れて散歩に行く時
うっかりしていると踏みます。
ここに、1つの短いストーリーがあります。
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私は公園に入りました。
銀杏の実を踏んで靴がくさくなりました。
公園を避けて歩くようになりました。
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この「銀杏で靴がくさくなる(嫌な事)」は行動学的に言うと
罰(Punishment)
と呼ばれる要素になります。
罰とは、
『ある特定の行動が再度起こる確率を低くする要素』のことを指す専門用語です。
『公園に行く』が【行動】で
『銀杏で靴が臭くなる』が【罰】
こんなややこしい言い方をしなくても
嫌なことが起こったから、その行動をやめる。
シンプルな構図です。
ですが、実はシンプルではありません。
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私はしばらくすると
銀杏の実があることを忘れて公園の入り口を通りました。
銀杏を踏みました。
くさいけど、大したことはないなぁと感じました。
翌日の朝も、公園に行きました。
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この時点で
以前は罰(Punishment)だった要素は
もうなんの効力もありません。
また
「銀杏の簡単な処理法を知っているよ。銀杏って日本酒に合うんだよね。」
と言う友人に出会った後に
その公園の近くを歩けば
銀杏がある公園=いい事
つまり、罰(Punishment)とは真逆の効力があります。
この例では
私が公園に入ろうが入らなかろうが
特に誰かが困るわけではないため
銀杏が罰になろうがなかろうが大した問題ではありません。
でも、イヌのトレーニングでは
「ある行動を減らすために罰」
言い方を変えると「叱る」場面にある時
多くの方が悩まれます。
叱っているつもりがかえって興奮した。
叱っているつもりが怖がってしまい、パニックになった。
叱っているつもりが楽しそうにじゃれてきた。
人が思う罰が、絶対的ではない。
から困るわけです。
「叱る」のは絶対的な力があると考える方もいるし
上手なさじ加減で「叱る」方もいます。
だた、「叱っているつもり・・・」はイヌにとっても、人にとってもあまりいい状況ではありません。
また、罰は時と場合によっては
「馴れてしまう」がために
効果がなくなることがあることは、気に留めておいてもよいかもしれません。
私は
イヌのトレーニングの時に「絶対に叱らない」という方針ではないし、むしろ
イヌの行動を「止める」手段を飼い主が持つことはものすごく大事だと思っています。
ただし止める時
3つの事を意識しています。
- ちょうどいい力加減で止める(イヌを怖がらせると別の問題を引き起こすことがあります)
- ちゃんと止める(1とのバランスが大事)
- 別の日に、同じ状況になった時、まず様子を観察する。(その罰が効果的だったら再発度は減ります)
1の「ちょうどいい」も
2の「ちゃんと」も
なんとも心もとない説明です・・・。(ゴメンナサイ!)
ですが3は、観察眼を養うきっかけになると思いませんか。
うまくいかないことはありますが
そんな日は
焼いた銀杏と日本酒で
ひとやすみ。
そんな心構えでトレーニングに取り組みたいと
思った秋の夕方でした。
思った秋の夕方でした。